休みの日の終わりに思うこと
先週末のこと。那須に紅葉登山に行こうと思っていたのだけど、あまりお天気が思わしくなかったことと、まあまあ体が疲れていたため、山は辞めて休養することに。10/16(日)、17(月)
1日目は、朝SNS(Twitter)活用講座を2時間受講、その後少し昼寝をして、午後はブログ更新、夕方にマッサージ(疲れもあるし、市場調査もある)へ。
2日目は、私の鍼灸院の備品の買い出し、免許を持たない母の用事のために運転手、知人紹介の講演会を2時間視聴、ブログ更新、夜は大好きなスーパー銭湯でアカスリとお風呂。
その他、仕事の事務作業やら何やら、やることリストを全てこなし、確かに行動は出来た。ダラダラしている時間はほぼ無くて、充実のお休みだ…と思ったのだけど…何かが違う。
用事詰め込んで仕事の日より忙しかった疑惑。何より休養日になっていなーい🥺
疲れを引きずったまま今週に突入、案の定一昨日、昨日と眠すぎて、体調も思わしくなく、昨日はがっつり昼寝…😪
自分を見付ける朝活タイム
何だかなーとモヤモヤしていたところ、今日の朝活読書で本の中に答えを発見👀こーゆーのって見付けるように出来てるんだよね。
質問家のマツダミヒロさんの著書『質問は人生を変える』
“行動することは素晴らしいことなのですが、その前にもっと大事なことがあります。「何をどのようにするか」は「どうありたいか」という自分のルールが明確になって初めて成果につながるのです”
おっしゃる通りでございます…ははー( ノ;_ _)ノ
ゴールも目的もなく、そしてルールも分からなければ、トレーニングのしようがありませんよね。もしかしたら走り込みじゃなくて、読書が必要なのかもしれないのに。
とにかく前に進みたくて、目につくもの、良さそうと思われるもの(おそらく他者基準の、一般的に良いと言われるもの)を手当たり次第やっている状態。
「やらないこと」も「どうありたいか」も「どこに行くのか」も決めずに、とにかく「やること」を詰め込んだ私の休日は、そりゃ消耗で終わりますわ…。
そして、やることも「やりたいかやりたくないか」「楽しいか」「好きか」ではなく「やるべき」という判断基準で選んでいる。その根底には「今の私ではダメ、何か価値のあることをしなければいけない」という無価値感と限定的自我、問題回避。
ゆったりと自然体で、本当の私の心が「やりたい」ことをやる、「楽しむ」「自分を大切にする」。それが抜け落ちていましたね。
そんな頑張っちゃう私も素直に受け止めて、改めて、「私がどうありたいか」「どういう世界を作りたいか」、そのために「やること」「やらないこと」を決めていこう、と決めた、今日の良き日でした。
今日もグッジョブ。おやすみなさい。