Kobo Trail 2026 DNFレポート|「なぜ走るのか」を問われた日

弘法大師の道へ

弘法大師空海が、若かりし日に歩いたとされる道。

「吉野から南に1日、西に2日歩いて高野山に至った」

そう伝えられる “弘法大師の道” を、一日で駆け抜けるレース。それがKobo Trailだ。

今年で11回目を迎えるこの大会は、単なるトレイルランニングレースではない。修験道の聖地、吉野・金峯山寺から、真言密教の聖地、高野山・金剛峯寺へ。1200年前、弘法大師は何を祈り、何を願い、どんな想いでこの道を歩いたのか。

その気配を、山の空気を、身体を通して感じながら進む。

私は、このレースの持つ “物語性” に、深く惹かれている。 

昨年は「西に2日」にあたる、洞川温泉から高野山までのショートコース(D to K)43.2kmを完走。今年は、フルバージョンとなる吉野・金峯山寺から高野山までのK to K、55.7kmに挑戦した。

しかし結果は、DNF(途中リタイア)。

理由は、暑さによる軽度の熱中症症状だった。

関門には間に合っていた。足も残っていた。痛みも負傷もない。でも、これ以上進むのは危険だと判断し、自ら止まることを選んだ。

完走したかった。どうしても。でもできなかった。

今回、弘法大師さまから受け取ったものは、「完走」という結果ではなく、もっと大きな “問い” だったのかもしれない。

レースレポート、いきます。

5/16 前日|修行の入口へ

夜行バスで奈良入りし、午前中は奈良在住の友人に案内してもらいながら、奈良の郷土料理や鹿との触れ合いを楽しんだ。

午後、スタート会場となる吉野・金峯山寺へ。桜で有名な吉野の町には、古い建物を活かした店が並び、どこか時代を越えたような空気が流れていた。

その中心にある、金峯山寺・蔵王堂。ブリーフィングの後には、蔵王堂で夕座勤行が行われた。

それは単なる行事ではなく、 “入行の儀式” 。

山に入り、穢れを落とし、生まれ変わって里へ戻る。
暑さを厭わず、お天道様の力を受けながら進んでほしい。

そう語るお坊さんの言葉に、自然と背筋が伸びた。

修験道の聖地・吉野から、真言密教の聖地・高野山へ。

修行の準備は、整った。

「111」のゼッケン

宿へ移動し、ランナーたちと夕食を囲む。私は関東からの参加だったが、周囲はほとんど関西勢。会話のテンポも空気感も新鮮で、とても面白かった。

翌日の予想最高気温は30℃。

かなり厳しいレースになることは明らかだったため、水分・塩分・ミネラル補給はかなり意識して行った。…つもりだった。

そして今回、私にはどうしても特別に感じることがあった。

ゼッケン番号が、「111」。私の誕生日ナンバーだった。偶然なのだろうけれど、どうしても意味を感じてしまう。

このレースは、何か特別な体験になる。そんな予感がしていた。

5/17|修行の始まり

ぐっすり寝て、3:45起床。4:30朝食。

宿からは、一人一つずつ、おにぎりと焼き餅の差し入れ。「祈完走」というシールが付いていた。

メイクに日焼け止め、テーピング。ザックには水、補給食、必携品。必要な準備を儀式のように淡々とこなし、会場に向かった。

蔵王堂前の階段に全員集合し、記念撮影。白いウェアを着たランナーたちが並ぶ。

このレースでは、修験道の修行場として神聖視されている大峯奥駈道を通行するため、ウェアは白指定。

ランナーたちは、まるで現代版の白装束。

私の胸と背中には、「111」のゼッケン。

スタートの合図とともに、響き渡る法螺貝の音。走り出すランナーの熊鈴の音が、それに応える。

修行が、始まった。

1200年前へ迷い込む

スタートが苦手な私は、早々に最後尾付近へ。

前日のコース説明で、

「南に1日、西に2日。1:2に思うかもしれないが、実際の体感は1:4くらい。南に1日にあたる大天井ヶ岳までは、準備運動と思った方が良い」

と言われていたので、抑えめに入る作戦だった。
(初めを抑えるのはいつものことだが)

一番後ろからランナーたちを励ましながら走るゲストランナー・鏑木毅さんには、初めの舗装路で颯爽と抜かれた。

4kmで400m以上を一気に登る舗装路。そこを越えた先にある金峯神社では、お坊さんが法螺貝で出迎えてくれた。

そして、トレイルへ。

すぐに出くわしたのは、女人結界の碑。ここは修行場なのだと、早くも身に染みて感じる。

新緑が美しく、周囲の山々が見渡せる場所も多い、気持ちの良いコースだった。

K to K、距離55.7km、累積標高3,800m。アップダウンが繰り返され、道のりはとても険しい。 

参加人数は80名ほど。前後に誰もいない時間も長く、鳥の声と風の音だけが響く。まるで1200年前へ迷い込んだような感覚だった。 

猛暑、そして最初のサイン

そんな静けさの裏で、この日は季節外れの猛暑だった。日陰で風が吹くと気持ちが良い。けれど日向では、容赦なく日差しが照り付け、じりじりと体力を奪っていく。

お説法を思い出し、辛くなったらお天道様を見上げ祈った。そして目線を落とした先には、「111」のゼッケン。自分の力を信じて進んだ。

9km地点、最初のエイド・九十丁。

吉野の名産、柿の葉寿司が振舞われていたが、手を付けられず。すでに食欲が落ちていた。

今思えば、あれが最初のサインだったのかもしれない。

トイレを済ませ、バナナに塩をたくさんかけて食べ、出発した。

“DNF” の文字が浮かぶ

ここからが前半の山場、大天井ヶ岳への登り。2kmで400mアップ。険しすぎて、もはや壁にしか見えない。「南無蔵王大権現」と唱えながら、一歩一歩、登っていく。

何とか登り切った先は、下りも壁。300mを一気に下った。12km地点のこの山頂を境に、進路は西に変わった。

急斜面の下りが終わったところで、ポールを取り出す。もはやポールが無いと進めないとさえ思えるほど、たった12kmで身体へのダメージは甚大。修行の道はこの上なく厳しかった。

しかし、弘法大師さまの時代には、便利なものは何もなかっただろう。ランニングシューズも、エナジージェルも、給水ポイントもない。道さえなかったのだから。何もない時代に歩いた人々の凄さを、これでもかと体感させられる。

時間とともに、暑さは増していった。汗で、Tシャツもザックもびしょ濡れ。飲み物がこぼれたかと思うほどだった。

何とか進み続けるも、D to Kとの合流地点、16km地点の小南峠にはなかなか辿り着かない。まだ昨年のスタート地点にも立っていない。その事実に、焦りが広がった。

樹林帯の中、ようやく小南峠の看板とスタッフの姿を見つけた頃には、かなり消耗していた。

ここで、初めて “DNF” の文字が頭をよぎった。 

まだ序盤なのに。

いつもなら後半追い上げるタイプの私。でも、残り40kmと残り体力が、もう釣り合わないかもしれないと感じていた。

それでも、必殺レッドブルを一気飲みし、回復を願いながら進んだ。 

次のエイドは、27km地点の武士ヶ峯。第一関門、13:50。

水は徐々に無くなり、ザックがだんだん軽くなってくるが、身体は重い。いつもならカフェインで回復する疲労感が、今回は取れる気配が無かった。

身体が、噛み合わなくなる

13:30過ぎ、武士ヶ峰エイドに到着。

トイレを済ませ、水分を補給し、名物のプリンを口に運ぶ。塩も思いっきり舐めた。

置かれたパイプ椅子には、リタイヤを決意したランナーたちが何人も腰かけていた。

軽い立ちくらみ。熱中症の、明確な予兆だった。それでもまだ行けそうな気がして、ここでは出発を決意した。

遮るもののないカンカン照りの林道をトボトボ進んでいると、後ろから近づいてくる気配。スイーパーさんが、2人。私が最後尾だった。

トレイルに入ると、前を進むランナーの姿が見えた。誰かを抜くと、その最後の人にスイーパーさんが付いていく。(例えが悪いけど)まるで桃鉄のボンビーのような仕組み(ごめん)。

最後尾を脱した私は、遅いながらも歩みを進めた。脚は動く。走れる。脚は進みたがっている。でも、気持ち悪さと呼吸の苦しさが、それを止める。

脚と胴体が、別々になってしまったようだった。

身体が、嚙み合わなくなっていた。

人生初のDNF

次のエイドは、36km地点、天辻峠。第二関門、15:30。

最後のピーク、乗鞍岳への登り。その途中で、私は決めた。

「次でリタイヤしよう」

人生初のDNF。 

決断した瞬間は、意外なくらい冷静だった。

もちろん、諦めたくなんかなかった。でも、それ以上に、

「これ以上進んではいけない」

という感覚があった。

前日、お坊さんはこう言っていた。

「多少の無理は必要かもしれないが、無茶はいけない。それが修行です。」

その言葉が、何度も頭の中に響いていた。

天辻峠1.2km手前の、私設エイド。コーラをもらい、氷を首筋に当てる。

そして最後のエイドまでの間に、やっぱり泣いた。

悔しかった。どうしようもなく。

「111」のゼッケンをもらったのに。
絶対に完走したかったのに。

走りながら、泣いた。

「本当に行かないで大丈夫?」

15:20。天辻峠エイド。私はリタイヤを申告した。

スタッフたちが、椅子や飲み物、スイカ、柿の葉寿司などを差し出してくれる。

ザックを下ろし、ゼッケンを外した。 

すると、関門ギリギリのあと一分。先に抜いたランナーたちが、集団でエイドに駆け込んできた。先を目指して進むようだった。

そして、関門時間。スタッフの女性が、私に声を掛けた。

「本当に行かないで大丈夫?」

気が変わったなら、まだ間に合うよ、と。

心が揺れなかったわけではない。

痛みも負傷もなく、しいて言えば、いつもは張らない前腿の張り感が強いくらい。 足にはまだ、余力があった。

でも、顔や首筋、ザックには、今までに経験したことがないほどの、塩の結晶。
今は軽度だが、無茶をして進めば、重度の熱中症に進行してしまうかもしれない。

倒れる前に、怪我をする前に、止めよう。

そう決めたのだった。

同じくここでリタイヤをした女性と2人、回収車に乗り込み、スタッフの運転で曲がりくねった山道を下りた。

さらに次の関門でのリタイヤランナーを回収し、車は高野山へ。ゴールを目指し走るランナーを車の中から眺め、心の中で声援を送った。

そして、いつもなら酔わない車に酔う。走ることをやめても、胸に残る気持ち悪さはずっと消えなかった。

シューズ紛失事件 

ゴール会場。荷物を受け取り、お風呂で汗を流した。

自分の足でここに来ることは、できなかった。手にしたのは、完走ではなく、自ら決めた、DNFという結果。やり場のない悔しさと悲しさだった。

そんな中、荷物をまとめていると、追い打ちをかけるように、事件が起きた。

私のトレランシューズが、ない。

近くには、同じモデルのサイズ違い。

どうやら誰かが間違えて持って帰ってしまったらしかった。

あのシューズは、ただの道具ではない。なかなか合うものが見つからない私の足に合う、唯一の存在。たくさんのレースや練習を共にした、 “相棒” だった。しかも、もう廃盤モデル。

DNF以上の、大ショックだった。

もし戻ってこなかったら、もう私は走れないかもしれない。

本気でそう思った。

帰りは、偶然一緒になった友人グループに混ぜてもらい、バスやケーブルカー、電車を乗り継ぎ、大阪・なんばへ。

夜行バスに乗り込み、目を閉じて休むと、気持ち悪さは少しずつ落ち着いていった。

なぜ走るのか

5/18。

自宅へ戻っても、食欲は戻らなかった。立ちくらみも続いていた。

体調は良かったと感じていたけれど、今思えば、少し前にひどいむくみが出るなど、身体はサインを出していたのかもしれない。

そこへ急激な暑さ。身体が追いついていなかったのだろう。

リタイヤの判断は、きっと正しかった。 

でも、その前にもっとできることがあったのではないか。 

そう、自分に問い続けてしまう。

DNF。
熱中症。
シューズ紛失。

一気に降りかかった出来事に、心が閉じかかった。

「こんなに大変な思いをしてまで、この先もトレランを続ける気があるのか」

何のために山へ行くのか。
何のために苦しいことをするのか。
何のために身体を使いたいのか。

何のために走るのか。

そう問われているようだった。

また、走れる

夕方。

「シューズが見つかりました!」

と運営から連絡が入った。

取り違えた参加者が気づき、連絡をくれたらしい。

あの子が、戻ってくる。

また、走れる。
まだ、終わりにはできない。

あの道を、自分の足で走り切りたい。

私にとって山は、勝敗でも数字でも実績でもない。

世界とつながり、自分とつながり、生の感覚を深めるための場所だ。

苦しくても辛くても、 その世界に触れたい。
私は、この体験を愛しているから走る。

今回、弘法大師さまから受け取ったものは、「完走」という結果ではなく、

「なぜ走るのか」

という問いだった。

成功の裏には、自分の努力だけではどうにもならないものがある。 

天気。
身体。
タイミング。
運。 

前回のニュージーランドのレースは、雨だったから完走できたのかもしれない。今回は、その逆だった。

“完走できなかったレース”

ではなく、

「完走という結果だけでは見えなかったものを見せてくれたレース」

来年、この “未完了” を背負って、私はまたKobo Trailへ向かうのだろう。さらに特別なレースになることは、きっと間違いない。

私の挑戦は、続く。