月山山麓ウルトラマラソン 2026 挑戦記|「75km」ではなく、「人をつなぐ旅」だった

恩返しをしたくて、自分の限界に挑んだ旅 

第4回月山山麓ウルトラマラソンに参加してきました。 

このレースは、私にとって恩返しの旅でした。
でも同時に、
私の走力では、完走できるかどうか本当に分からない挑戦でもありました。

ご縁の地、月山へ 

山形県・月山。私にとって、特別なこの地。

2018年、出羽三山を訪れたことから始まり、雪旅籠まつり、朝日連峰縦走…。

訪れるたびに新しいご縁が生まれ、「また帰ってきたい」と思う場所になっている。

月山の標高が、私の生まれ年と同じ数字(1984)だということも、縁を感じる理由の一つ。

このレースを走りたかった理由

そして数年前、走り始めたばかりの頃に知ったのが、この月山山麓ウルトラマラソン。

ロード75km。

当時の私は5km、10kmで精一杯。もちろん、自分が75kmを走る姿なんて想像もできない。

でもいつしか、

「いつかこのレースを走って、この土地でお世話になった人たちへ恩返しがしたい。」

そんな思いが、目標になっていた。

一生に一度の覚悟で立ったスタートライン

ロードは今でも苦手。最長距離はフルマラソン。

それもタイムを狙うどころか、完走するだけで精一杯。

未知の距離が本当に怖くて、「私には無理かも」と弱気になりながらも、

苦手なロード練習、
シューズ選び、補給や装備、
ドロップバックの作戦。

一つひとつ、今自分にできることを積み重ね、この日のために練習をした。

直前には打撲や疲労骨折気味の痛みもあり、思うように走れなかった日も。

だから目標は、
「速く走ること」
ではなく、

「元気な状態でスタートラインに立つこと」

それだけでも、まずは十分。

そして迎えた当日。胸には、三つの完走プラン。

プランA
楽勝で完走!意外と行けたな。

プランB
苦しかったけど完走!頑張った。

プランC
泣きべそをかきながら完走…。燃え尽きて灰になる。

結果は…

B寄りのC。

泣きはしなかったけれど、完全に屍にはなった。

レースレポート、行きます。

7/4 前日|恩返しの入口へ

新幹線で山形へ。駅前で車を借り、友人と蔵王山で軽いトレッキング。火山活動が形作る地球の絶景に感動し、身体も心もレースに向けて整えていく。

そしてレースチェックインのため会場の志津温泉へ。

国道から逸れ志津へと向かう道は、激坂。据付られた「勾配10%」の看板に恐れおののく。本番は自分の足でこれを下り、そして上るのだ。

前日受付では、一緒に山形へ来た仲間たちと記念写真。この旅を共にできることが嬉しかった。

会場ではお祭りのような雰囲気を楽しみ、この日宿泊する大井沢の宿、民宿さくおさんへ。

朝日連峰縦走の帰り、この宿のおかみさんには本当にお世話になった。登山口から宿までは約11km。普段はやっていない送迎を、わざわざ弟さんを呼び寄せて、やってくださったのだった。

母のように気にかけてくれた、その優しさが今でも忘れられない。

地元の旬の食材をふんだんに使った料理は、今回も変わらず素晴らしかった。お一人で切り盛りされているとは思えないほどのおもてなし。

「この土地に恩返しがしたい。」

そう思う理由の一つが、この宿にもある。

あの時のお礼を伝えられたこと、またここに戻って来られたことが、本当に嬉しかった。

7/5 レース当日|挑戦の始まり 

支度を済ませ、5:30、宿を後にする。ここもコース上になっており、数時間後には走って通過する。おかみさんに挨拶をし、会場の志津温泉へと向かった。

予報は曇り、午前中は時々晴れ。予想最高気温は28℃。

例年に比べ、条件は良い。これまでも今年はしっかり梅雨で涼しく、練習しやすい気候だった。

この好条件で完走できなければ、一生できない。
もう一回この準備はしたくない。 

これは最初で最後の挑戦。そんな気持ちだった。

会場に着き、ドロップバッグを預ける。トイレを済ませ、何度も靴紐を結び直した。

徐々に近づくスタートの時間。屈強そうなランナーたちが集合する。

「どうしよう、始まる。」思わず漏れるのは、こんな言葉ばかりだった。

7:00。スタートの合図とともに、260名のランナーたちが一斉に走り出す。

まずは下り。5kmで300m近く標高を下げる。スタートが苦手な私は下りでもペースを抑えて入る。長い旅が始まった。

ご縁とエイドをつないで進む75kmの旅 

距離75.3km、累積標高1,446m、制限時間は12時間。エイドは10ヶ所。

ロード75kmを走る。そう思うと気が遠くなる。

だから、「人と人をつないで旅をする」と考えを変えた。

まずは14km地点、民宿のおかみさん。
次は38km地点、山形の友人Y子さん。
その次は50km地点、山竹商店のタケローさん。
最後はゴール地点、テキーラBARのチハルさん。

その人たちのところまで、行く。

また、もう一つの楽しみは、エイド。ごはんやフルーツ、ジュースやお菓子など、地元の美味しいものをたくさん用意してくれている。

次の人まで。次のエイドまで。
それを繰り返した結果が、75kmになる。
そんな心理作戦だ。

下り切り、6.1km地点、最初のエイド・レストイン花笠。

バナナと梅干をもらい、すぐに走り出した。

曇り空だが、走ればしっかり暑い。汗が流れて止まらない。

月山湖にかかった橋を渡った後、道は大井沢方面へ。

緩やかにアップダウンを繰り返しながら、寒河江川に沿って走る。

早くもランナーたちはばらけ、それぞれのペースで歩を進めている。私がいるのはかなりの後方だった。

集落の雰囲気が出てからがとても長く感じ、何度も時計を見た。

ようやく民宿が見えてくると、その前には手をふるおかみさんの姿。ずっと待っていてくれたのだ。

「頑張って!」

優しい言葉に力をもらい、先へと進んだ。

14.4km地点、2つ目のエイド・湯ったり館。

手打ちそばに、山形パインサイダー。食欲はある。まだまだ行ける。

道端には、案山子の格好をして応援してくれている女性が。前日と当日の朝、民宿の前で会った地元の女性だった。

「この先、峠だから頑張ってね!」

と元気に励ましてくれた。

上り基調になっていく道。長い坂道が続き、歩くランナーの姿も出てきた。私はまだ、走れた。走っているというには遅すぎるペースだったが、歩かずに走っていた。まだ、余裕はある。

上り切ったところで、

22.2km地点、3つ目のエイド・大井沢トンネル手前。

フルーツポンチ、梅干しをもらい、出発。

真っ暗な大井沢トンネルを抜けると、今度は長い下り坂。ロードの下りの衝撃は大きく、少しずつ、身体のあちこちに痛みが出てくる。

ハーフタイツのサイドに入れたスマホやフラスクが、腿の外側に当たり続け、気づけば腫れ上がっている。荷物の位置を何度も入れ替えながら進んだ。 

それでも25kmを過ぎた頃、

「今日なら、完走できるかもしれない。」

初めて希望が湧いた。

疲れてはいるが、ここまで少し余力を残して来れている。このままゴールまで持ってくれれば。そう願いながら進んで行った。

30.5km地点、4つ目のエイド・柳川温泉。

ラフランスジュースにコーンスープ、おこわ。ジュースを注いでくれたのは、地元の子供たち。元気をもらい、先を目指した。

38km、ようやく会えた人 

山の景色から田園風景へと変わり、青々とした稲の田んぼ、点在する住宅、長閑な原風景の中を走っていく。

コース中、一番標高の低いこのあたりで、日差しが出てくる。遮るものがなく、暑さはひとしお。顔や首筋には塩の結晶がたっぷり付いていた。じわじわと疲労が溜まり、かたいアスファルトに何度も打ち付けられる足の裏は、すでに悲鳴を上げていた。

それでも淡々と足を止めずに進み、

38.7km地点、5つ目のエイド・小倉交流館。

そこには私の名前入りのうちわを手にした、山形の友人Y子さんの姿。

朝日連峰縦走の帰りに知り合い、とてもお世話になったY子さん。

今回も、うちわだけでなく、冷たい濡れタオル、飲み物などを用意して待ってくれていた。

「よくここまで来たね。えらい!すごい!」

「山形にもマラソン大会はいくつもあるけど、こんな距離はないよ。しかもまだ半分あるんだもん。本当にすごいよ。」

会うなり、ずっと褒め続けてくれた。

この人に会うために、走ってきた。

疲れを忘れるほど、嬉しい再会だった。

後半戦。覚悟が決まる 

ここはドロップバッグのエイド。

心はY子さんとのおしゃべりを楽しみながら、身体は後半への準備を進める。

「最近はどこの山へ行ったの?」

「木曽駒ヶ岳、千畳敷カールのお花畑が本当にきれいだったよ。」

うちわで風を送り、冷たいタオルを身体に当てながら、嬉しそうに山の話をしてくれるY子さん。

久しぶりに会ったはずなのに、不思議と昨日も会っていたような感覚だった。

会いに来たはずなのに、また励まされ、力をもらっている。

ホースの冷たい水で顔を洗い、脚を冷やし、エイドのガリガリ君とスイカをもらう。塩もたっぷり摂った。

用意していたレッドブルを飲み、ジェルを補充して、後半への準備を整えた。

この時間が終わってしまうのが少し寂しかった。

でも、この先には、また会いたい人が待っている。

名残惜しくもY子さんに別れを告げ、再び走り出した。

距離にして半分、ここまで歩かずに来られている。

もちろん辛いが、やめる理由も、やめたい気持ちもない。

絶対にゴールへ。覚悟が決まった。

42.1km地点、6つ目のエイド・野口沢公園。

暑さはピーク。氷をもらい、首筋や手のひら、脚を冷やす。ごはんやよもぎ餅があるが、手を出せず。食欲が少し落ちてきていた。ジュースや麦茶、梅干しをもらい、スタッフに励まされ、出発。

しばらくすると、再びの上りに差し掛かっていく。歩くランナーが多い中、私はまだ走れていた。

「最後まで走れるかもしれない。」

そんな考えが頭をよぎる。

しかし、過去最長距離を超えて動き続ける私の身体は、思った以上に限界だった。たまらず歩き出すと、走ることで覆い隠していた疲労が次々と顔を出す。

峠を越え、下りに差し掛かると、さらに辛さは増した。下り切る頃には、もう力尽きていた。

49.2km地点、7つ目のエイド・かわどい亭。

食欲はなく、気持ち悪さも出てきていたが、特製牛すじカレーはご飯を少なめに盛ってもらい、口に運んだ。ジュースや麦茶、梅干しをもらう。

身体はボロボロだったが、熱中症でも病気でも、怪我もしていない。このまま最後まで行くしかない。

知人のスタッフHさんに励まされ、出発した。

限界のその先へ

そして、50kmを過ぎ、西川町の酒屋・山竹商店さんへと差し掛かる。

店主のタケローさんとは、テキーラBARのチハルさんと共に、志津温泉の雪旅籠まつりで知り合った。

トライアスリートのタケローさん、ランナーのチハルさんとは、その後もSNSでお互いの挑戦を応援し合ってきた仲間。

「純子さんなら走れるよ。」

このレースを勧めてくれたのも、二人だった。

お店の前で私設エイドを出してくれている。でも14時くらいにはゴール地点へ向かう、と聞いていた。

時間は、もう14時過ぎ。

「間に合わなかったか」

通り過ぎようとしたその瞬間。

駐車場にタケローさんの姿が!

「すごい!行けるよ!」

また一人、会いたかった人に会えた。

大きな力をもらい、再びゴールまでの覚悟を決めた。

歩いたり走ったりしながら、町の中を進んで行く。じわじわと上り基調の道で、歩く時間の方が多くなってきていた。

57.2km地点、8つ目のエイド・西川町スノーステーション。

食欲は無かったが、大好きなさくらんぼは喉を通った。パンは食べられず、山形パインサイダーと梅干をもらった。

道はゴールへ向けて徐々に標高を上げていく。

上りは歩き、下りや平坦なところでも余裕はなかった。

それでも、やめるつもりはない。

応援をくれた人たちの顔を思い出し、必死で足を動かし続けた。

62.6km地点、9つ目のエイド・本道寺地区集会センター。

到着の少し前、町内のスピーカーから声が聞こえる。

「ゼッケン番号〇番の選手、到着です」

エイドでの実況中継を、町内放送で流してくれていたのだ。町ぐるみでの歓迎と応援に、心が温まる。

そうめんは食べられず、バナナと梅干、塩分タブレットをもらった。

エイドを出ると町が途切れ、道は山の中へ。勾配のきつい上り坂を上っていく。

この辛い局面で何を思っていたのか、もう思い出せない。ただ、木々の鮮やかな緑が優しく日差しを遮ってくれていたことだけ、目に浮かんでくる。

そして寒河江ダムを超え、国道に沿って進んでいった。

ここにきて、明確な痛みが出てきた。走っていると時々、左膝の外側が痛み、カクッと力が抜ける。どうにか最後まで持ってほしいと願いながら、身体を前へと運んでいった。

人生で一番長かった最後の6km 

最後のエイド。

その前で、大きく手を振るスタッフが見えた。その姿を見た瞬間、まだゴールでもないのに、思わず涙が出た。

「ここまで来られた。」

私は、完走できる。

この時初めて、そう心から思えた。

ずっと張りつめていた気持ちが、安堵に変わった瞬間だった。

69.2km、10こ目のエイド・レストイン花笠。

相変わらず食欲は無かったが、コーラや氷をもらい、クールダウン。少し落ち着いてから、出発した。

最後は、志津へと向かう急勾配の道へ。もう全く走れなかったが、ゴールはもうすぐだ。

限界を超えてもなお、動き続けてくれる身体。私のやりたいに、いつも付き合ってくれる身体。

「ここまで連れてきてくれてありがとう。」

そう思いながら、最後の時間を味わう。

そして、ラスト1kmの看板。

道も平坦になり、走り出すも、左膝に強い痛み。結局走れたのは、最後の数十mだけだった。

11時間14分。

人生最長の75km。

無事、完走。

間違いなく、史上最高に辛かった。
そして、史上最高に頑張った。

ゴールにはチハルさんが待ってくれていた。

来年、このレースに挑戦するというチハルさん。

「完走した姿を見せたい。」

そう思っていた。

「頑張りましたね!おめでとう!」 

笑顔で祝福してくれた。

友人やスタッフからも、たくさんの祝福の言葉をもらう。

心の底から嬉しかったけれど、泣く力も残っていないほど。

あまりの疲労に、放心状態だった。

達成の後 

楽しみにしていたゴール後の芋煮も、ビールも飲めず、落ち着きそうもない身体のまま、会場の側の宿、旅館仙台屋さんへ。

ここも、出羽三山や雪旅籠まつりの時にも泊まった宿。また帰って来られたことが、嬉しかった。

汗を流し、食事に向かう。豪華な夕食を前にしても、食欲は戻らなかった。

布団に横になっても身体中が痛み、痛みと興奮で眠れなかった。

翌朝もほとんど食べられなかったが、温泉に入り疲れを癒し、新幹線で帰路へ。

自宅へ戻ってからも、

身体の痛みや、筋肉痛。
喉の痛みや鼻水、風邪。

暇さえあれば寝るなど、一週間以上、本当に屍のように過ごした。

恩返しと挑戦の75km 

月山山麓ウルトラマラソン。

ご縁の地・月山で、たくさんの恩人たちに会えた、そして限界を超えた自分に出会えたレースだった。

「楽しみ」と同時に、本気で準備をした「挑戦」。

だから、完走できたことは、とても嬉しい。

でも、終わってしまったことが、寂しい。

もう二度と走らない。

そう思うほどに辛かったのに、苦しかった記憶は少しずつ薄れていき、残るのは、美しい景色と、人の温かさばかり。 

寒河江川の流れ。
深い森。
田んぼを渡る風。
ホースの冷たい水。
氷の冷たさ。
エイドのご飯。
地元の皆さんの声援。
スタッフの熱い励まし。
そして、
応援してくれた人たちの笑顔。

たくさんの人やこの土地に、応援され、助けられ、力をもらった旅。 

恩返しに来たつもりだった。

でも帰る頃には、またたくさんの恩を受け取っていた。 

だからまた、この町へ帰ってきたい。

まだ、この旅は終わっていないから。

今度は応援する人としてかもしれない。

また、うっかり走ってしまうかもしれない。

ご縁は、きっとこれからも続いていく。

私の挑戦も、まだ続く。

【今回の作戦まとめ】

・暑さ対策
 ノーザック、ハーフタイツ
 補給計画(ジェルはエイド間で1つ、梅干しや食塩をエイド毎に摂取する)
 心拍数の管理

・長さ対策
 「75km」の大ゴールではなく、「人とエイド」を小ゴールに。
 ソックスを履き替える←準備したがその場の判断(靴紐の感覚を変えたくなかった)で履き替えず
 冷却スプレーでリフレッシュ