山の何が好き?
先日、先輩山ボーイ&山ガールさんに誘われて雨の高尾山へ。5/14(日)
お二人は山のお花が大好きで、私は見落としてしまうような可憐で健気なお花たちを次々に発見。お花が目当てとなると、雨の日も関係なし、というか、雨の日が好きらしい。植物が生き生きとするのと、人が少ないから。
「純子さんは山の何が好きなの?」
と言われて、ハッとしてしまう!
私は山の何が好きなんだっけ。
お花はもちろん好きだけど、有名なものが少しだけ分かるくらい。樹木も奥深すぎてよく分からないし、キノコも山菜も、鳥も動物も分からない。地質も岩も分からない。私は細部をあまり見ていない様子!
タイムを競うようなこともしていないし、披露する程の技術があるわけでもないし、登った山の数を自慢したいわけでもない。そう、特別何か優れている登山者ではない。
私は高山の稜線歩きが好きだ。遠くまで見渡せるお天気の良い日に、雄大な山々に囲まれて地球を自分の足で踏みしめて歩いていると、自分と山の境界が消えて、山になってしまう、その感覚。自然との一体感。
私は山の、自然の、世界の、宇宙の、その奇跡の一瞬を目の当たりにしたい。山は、その奇跡がむき出しだ。穏やかさも、優しさも、荒々しさも、怖さも、全てがむき出し。そのまま、ありのまま。
計画を立て、資金&体力作りをし、天気予報とにらめっこし、ようやくスタート地点に立つ。そして一歩一歩、険しい山道を進みながら、体が疲れてくると、心の中がむき出しになってくる。私の良さも、強さも、弱さも、ダメなところも。
むき出しの奇跡と、むき出しの心が溶け合って一つになるところ。私が奇跡になるところ。そこが山だ。
そう、私は、山旅を通して、心の旅をするのが好きなのだ。山旅に人生を重ねて、達成すること、その先の悟りの世界を見ること。そして、そんな山旅を通して、生きる奇跡、いのちの奇跡を伝えたいのだ。
人生は、山登り
山登りは、人生のメタファーそのもの。
最近会った友人3人。それぞれが一時期をともに過ごした大切な仲間たち。
中学時代の友人は、20代後半お互い同じ頃に新たに学び直し、私は鍼灸師に、彼女は人気陶芸家に。高校時代の美容師の友人も、同じく20代後半に転機を迎え、彼女は開業の先輩。元同僚の鍼灸師の先生とは、同時に退職、お互い新しい挑戦を始めた戦友。
皆も私も、やると決めて、そこに向かって進んできた。
まだ思い描いた理想の地点にいるわけではないけれど、それぞれが自分の道を切り拓き、世界を作っていっているこの今とこれまで、そしてこれからを想うと、感動しちゃう。
登る山を決めて、一歩一歩、頂を目指すのみ。
人生は、山登り。
人生という山を登る、あなたも私も山ガール✨←言いたいだけ😇。
理由と経緯と目的
私である理由、山である理由。の言語化が目的の今回のブログ。
なぜ?(理由)どうして?(経緯)なんのために?(目的)
原因や理由は過去や経験に。目的は今や未来、生という本質に。また、他者や他事との比較の中に。
一度言語化出来た!と思っても、その言葉を持ってある程度過ごしてみると、「で、その中のどれ?」と、どんどん細分化していかざるを得なくなる感じ。これは終わりがないのでしょうか。どんどん細分化した先に、また俯瞰の世界がある気がしているけど。
この先もきっと、また言語化する機会が度々来るのでしょう。前に進んでいる限りは。
人類山ガール化計画
来月6月は分子栄養学の仲間たちと高尾山に、9月は私の師匠であるカリスマカウンセラーのまごめじゅん先生と富山の室堂に、山が初めての方たちに、山の魅力、いのちの奇跡を伝えるべく、行く予定です。
奇跡を体験した私だから伝えられること、それを言語化した私だから伝えられること。奇跡そのものの山だから伝えられること。
私である理由、山である理由。
また「で、その中のどれ?」が再び訪れる日まで、このまま突き進みます。
人生という山を登る、あなたも私も山ガール✨←また言う😇。
#人類山ガール化計画