始まりの季節
それは春の北海道。『いのちを味わうリトリート』洞爺湖畔の森へ行ってきました。4/29(土)~5/1(月)
後編のこちらは、私がリトリートに参加した目的、見たこと感じたこと。
体験の様子は前編へ⇒北海道洞爺湖へ|いのちを味わうリトリート|チェックイン(前編)
リトリート概要:
「GWは洞爺湖畔の森で」4/29~5/7
=「いのちを味わうリトリート」4/29~5/1
=「おおいなる流れとともに」5/3~6
旅路
『暮らすように滞在したい』
このリトリートの始めに、私はそう話しました。
私の本当に望む人生、理想の暮らし。
「3年後、どこで何をしている?」
その質問で思い描いた私の夢の世界を求めて。
独立して、様々な学びや経験を通して視座が変わり、好きなことを「やる」が出来るようになってきた今、残すはずっと保留にして生きてきた「暮らす」ということについて。人生の根幹、土台部分、ハード面ともいうべき重大要素。
私は現在の仕事である鍼灸師の他にも、大好きな山を通して、自然の素晴らしさを、いまここの奇跡を伝えたい。そこから、もっと自然に近い暮らしがしたい。に気持ちが向いてきたのは、それこそとても自然な流れなのだと思う。
大自然での暮らし。何も無いけど、全てがある。そんな場所で暮らすこと、生きること。毎日毎日、自然の、宇宙の、命の奇跡を感じながら、大地と共に暮らすこと。
だけど、暮らす場所を移す、変えるということはある程度人生の方向を大きく変えてしまう(と思っている)ことや、今の都会暮らしとあまりに違いすぎる(と思っている)ことで、想像が付かなくて怖くて、何から手を付ければ良いかさっぱり…。言い訳ばかり探して並べて、調べることや思い描くことすらしていなかった。
でも、「そうしたい」と思っているから、その指令が出ている私の脳は、SNSでうのかなさんを発見。大自然の中、とても素敵な暮らし&仕事をしている様子。
ちょうど計画していたGWの予定が白紙に戻った直後で。これは運命?私も山でのリトリートを開催してみたいし何か勉強になるかな?いや、良く知らないのにいきなり行って良いものか?もっと他にも調べたり、イメージしたりしてからでも良いのでは?仕事を休みにして行く価値はあるのか(休むことへの罪悪感も見え隠れ)?何もGWみたいな航空券が高額な時でなくても良いのでは?…など、即決できずウンウンと3日くらい無駄にぐるぐる悩んだ末、何事もやってみないと分からない。という結論で申し込み。
自然に暮らす、自然と暮らす
実際に来てみて目にしてみると、何となく実感が湧いてくる。山旅とも、キャンプとも違う、営みとしての時間。
かなさんご夫婦は移住を考えている頃に、たまたま旅行で訪れた洞爺湖の景色自然に魅了され、家探しを始め、今の土地にめぐり逢い、まずは住むための小屋作りからスタート。共感する仲間たちが集まり、苦労しながらも最高に楽しみながらの二拠点生活を経て、その後お隣の土地と母屋も手に入れ、現在はそちらに完全移住して暮らしている。電気はあるし、上水道もある。
周囲には離れてはいるが民家が点在し、少し車を走らせれば商店も、温泉もある。土地には湧水があり、さまざまな種類の野草山菜があり樹木があり、畑があり、遊ぶための場所があった。
私はただ想像だけで、自然暮らしといったら、完全孤立のポツンと一軒家みたいな感じとか、電気無し水道無しとか(それは無人島レベル?笑)、めちゃくちゃハードルの高いことを思っていたのだけど、そうではなくて、というか、自分の出来る範囲でやれば良いのだな、いろんな形があって良いのだな、と。そして、都会暮らしを否定するものでもなかった。思い込みを取り払うには十分な体験でした。
自然体で生きること
暮らしを体験したい、移住までの流れやいろいろが知りたい、そう言う私に、かなさんご夫婦始めお仲間の皆さんはいろいろな質問に答え、いろいろなことを体験させてくれました。包み隠さず、飾ることなく。
もちろん、私たち参加者に対しての気遣いやサポートはこれ以上ない程最大限にしてくれていたのですが、ここにいる誰もが自然体で、誰も頑張っていなかった(代償行為としての頑張りね)。大自然の中、大きないのちの輪の中で生かされていることを知ると、人は自然体になる、自然体でしか居ようがないのだ。良く見せたりだとか、取り繕ったりすることは、自然の前では無意味だから。
自然体は、自分自身への受容と信頼。そしてそれは同時に、相手への受容と信頼。私もOK、あなたもOK、そんな姿勢で生きるということ。
「あぁ、これで良いんだ」
全てはそのままで良い、ありのままで良い。いつでも、誰でも。とっくに知っていることなのに、私はこのままではダメ、ありのままの私でいてはダメ、といつもいつも自分に圧をかけていたことにようやく気付きました。
ただ、何かが大きくガラっと変わるというよりは、次元がスライドするような感覚で、そこにあったのは、私は私のままで、立つ位置を変えても良いのだよ、好きな場所で生きて良いのだよ、という確かで、優しい、自然そのもののような大きな愛。私は自由に生きるだけ、自由に選ぶだけだ。
がっちり心に受容のレベルが刻印されて帰ってきました。もう忘れることはないでしょう。忘れそうになっても、いつでもきっと思い出す。
だって、今こうして横浜でパソコンに向かってブログを書いているこの瞬間も、Blue Village にはあの優しい時間が流れていて、変わらずいのちが繋がっているのだから。
やっぱり、大きくガラっと変わったのかも!🤭。
旅は続く
私の聖地探しはこれから、自然に関わる仕事も、まだ何も始まっていないけれど、そんな中でここに辿り着いた私の強運と、SNSで発信してくれていたかなさん、そしてここを丁寧に魂を込めて作り上げ、稀有な体験をさせてくれた皆さんに、最大級の喝采を。
勉強になるなんてものじゃない、想像を圧倒的に凌駕した体験を掴んできました。とんでもなく温かく優しい、ね。
Blue Village 素晴らしい場所です。思い出すだけで幸せ。これから全人類にBlue Villageをオススメして歩きます。きっとあなたも良きタイミングであの森に呼ばれますよ。
最高のいまこの瞬間、最高の人生を。