芽吹きの季節
それは春の北海道。『いのちを味わうリトリート』洞爺湖畔の森へ行ってきました。4/29(土)~5/1(月)
もうとにかく最高でした。体は3日で帰ってきたけれど、まだ心が洞爺に行きっぱなし!でも日が経つにつれ、「夢だったのではないか…?」と思うほどの不思議な感覚に。記憶が鮮やかなうちにちゃんと書き記しておきますね。
『食を通していのちの繋がりを感じる』がテーマのこのリトリート。自然と、宇宙と、そして自分自身との繋がりに触れ、全てとともにある自分を取り戻す。
人生が変わってしまうような旅へ、と導かれるように、2泊3日を過ごしてきました。
リトリート概要:
「GWは洞爺湖畔の森で」4/29~5/7
=「いのちを味わうリトリート」4/29~5/1
=「おおいなる流れとともに」5/3~6
Blue Village
Blue Village と呼ばれる洞爺湖畔の森、ここで暮らすご家族とそのお仲間が主催。私はうのかなさんのツイートを見かけて知りました。
『一度知った豊かさは忘れない』
『その豊かさの種をそれぞれが持ち帰り、それが広がっていけば、豊かな世界になる』
かなさんの、Blue Villageの、作りたい世界、伝えたい価値。それが詰まったリトリートでした。
洞爺駅まで迎えに来てもらい、湖畔でチェックイン(体験への没入開始、というのでしょうか)。自己紹介と、それぞれ自分の内にあるものを話し、スマホの回収!そう、「スマホなし、時計なし」。思考よりも感覚を、五感をフルに開放しましょう、そんな体験のスタートです。
(デジカメ記録魔の私、デジカメは使用OKでしたが、それでも最小限に。記録より記憶に留めたいから。ということで写真は少なめ。あとで写真をいただけるそうなのでそれを楽しみに。)
湖畔から車で少し斜面を上って行った先に、シンプルな母屋と、可愛らしい小屋、緑のじゅうたんに覆われ、白樺の森に囲まれた静かな場所に、そのフィールドはありました。
好きなテントを選び、そこが愛しのマイホームです。(予め張ってくれてありました。感謝。)
野草、山菜料理
フィールドに生えている野草、山菜をかなさんに案内してもらい、摘み取ります。あちこちに自生している植物たちは、地球からの恵み、惜しみない愛を教えてくれる。
クルマバソウはシロップに。セリにミツバ、ノビル、アサツキ、行者ニンニク、クローブはラム肉と一緒にしゃぶしゃぶに。ピザのトッピングに。ヨモギはパンにケーキに。フキは保存食に。
お仲間の皆さん、ここでかなさんの自然の恵みに満ちたお料理を食べていたら、健康体型になってきたそう!(痩せすぎ→健康体重に!)
美味しすぎて楽しすぎて幸せすぎて、お腹いっぱい食べたくなる。
焚き火、ドラム缶風呂、テントサウナ
お湯に入るためには火起こしから。山は好きだけどキャンプはやらない私は自力での火起こしはほぼ初体験。たぶん。揺らめく炎を見ていると心が落ち着く。
水着に着替え、テントサウナとドラム缶風呂へ!スイッチ一つでお風呂が沸く現代生活はありがたいことではあるのだけど。ここでの一つ一つの行為は、生きていることを思い出させてくれる。
気持ち良かった!!!
中島の散策
洞爺湖のシンボルの中島。洞爺湖は5万年前の大噴火でできたカルデラ湖で、その中央にある4つの島を総称して中島と呼ぶそうです。
太古の手つかずの森で、ものすごいパワースポットだとか。島の中を散策出来るのですが、入森は管理されていて、14時半までに行かないと入れてくれない。私たちは間に合わず…(゚∀゚)。だったのですが、その片鱗だけ感じ取ってきました。確かに木々や森のパワーがすごかった。また次回の楽しみですね。
そして中島の大展望露天温泉。とろけて、体が気化して、洞爺湖の風になってしまいそうだった。
自然時間
ここでの体験で重要だったのは「スマホなし、時計なし」というデジタルデトックス。ワイルドですね~。スマホなし(外部との接触なし)は山で何となくそうなる感じだけど、時計なしは今までの人生の中で幼少期を除いては初の体験。
ただ、もちろん強制ではなく、ここでの過ごし方は自由。
時計を手放してみて、本当に私たちは毎日毎時間毎秒、1分1秒に追われて生きている…と感じざるを得なかった。時間に追われて、効率の良さとか、無駄に時間を過ごしてはいけない、何か有用なことをしなくてはいけないとか、無意識にそんなものに支配されていた。
私たちの活動に関係なく、自然は、地球は、宇宙は、その時を刻み続ける。太陽が世界を照らし、恵みの雨が大地を潤し、優しい風が吹き、可憐な花が咲く。
何かしていても、していなくても良い。自分の中に本当の時間を取り戻す。時間を自在に自分のものにできたら、時空超えられますね。
食のインスタレーション
メインイベントは、かなさん渾身の『食のアート』体験。
ストーリーに合わせて運ばれてくるお料理はどれも、丁寧にいのちが吹き込まれたアート作品そのもの。いのちの祝福のセレモニー。
食べることは、他の植物や動物のいのちをいただくこと。食べることで、植物や動物のいのちが私のいのちと一体になる。
悠久の宇宙の軌跡、何億年もの地球の歴史、植物も動物も進化と絶滅を繰り返しながら、今この時代、今この瞬間、今私の目の前にあって、私の口に入る。それは計り知れない奇跡の一瞬。私が山で感じている奇跡と重なる。特別な登山の瞬間だけでなく、「食べる」という日常の細部にもいのちの奇跡は宿っているのだ。
私たちは繋がりをもつ、永遠に途切れない輪の中で。ポカホンタスの言葉通りの世界、ひとつらなりのいのち。
私たちの体も、一つ一つの細胞が生まれては死に、役割ごとに分化し、一時として同じではなく、一瞬の奇跡の連続。地球と同じことをしている、まさに小宇宙。
今生きていること、今感じること、今する行為の一つ一つ。それは奇跡でしかない。
食べるという行為の意味が私の中ですっかり変わってしまうような体験でした。
ここに咲く花
最後はフィールドに椅子を並べてチェックアウト(体験の終了)。この時間を通して得た、自分の内にあるものを話す。優しい風に吹かれ、コブシの花の香りをかぎながら。
「今までやってきたことがようやく形になった。」そう話すここの皆さんの言葉の背景を想うと、本当に祝福したい気持ちと、この場を作ってくれたことへの感謝が溢れてきました。私は受け取ることしか出来ないけれど、ここで受け取った豊かさの種は、間違いなくこれからの私を、世界を、豊かに育ててくれることでしょう。
たったの2泊3日、誰よりも短い滞在だった私ですが、流れに身を委ね、雨音と星空の下に眠り、家族のように過ごした時間、豊かないのちの輪。確かにそこに私はいました。全てが私の中に刻まれ、時が過ぎたとしても忘れはしない。
後半戦も参加するメンバーを残し、途中で帰る私たちを見送ってくれた皆さん。寂しいけど、きっとまた会えそうな気がしています。
私はなんのためにこのリトリートに参加し、そして何を感じたのか。は、後編へ続く。