大河の一滴

尊敬する桑田佳祐さんがただいま全国ドームツアー中。東京ドームのチケット、先行抽選4回中4回見事に外れ…。一枚なのに当たらないもんだ。そりゃそうか。残念だけど仕方ない。LIVEには行けなかったので、桑田さんのアルバムを聞いていると、ふと楽曲「大河の一滴」の歌詞が耳に止まる。

"身を削りながら生きることも
忘れ去られながら老いてゆくのも
優しい素振りや醜しい癖も
世間にとっちゃナンの意味もない"

最近感じること。私たち人間も、山や森の木の葉っぱの一枚と同じようなものだな、ということ。

それがあるからこそ、私が今いるからこそ、この一瞬は構成されていて、必然なのだけど、どんな気持ちでいようが、どう振舞おうが、宇宙レベルでみたら全てどっちでも良いことで、誰が優れているとか、お金をいくら稼いだとか、何年生きるとかいつ死ぬとか、ただの誤差なんだろうな。

我慢してやりたくないことをしていても、好きなことをしていても、同じように日々は過ぎていくだけ。

人はいつ死ぬか分からない。危険な登山道に挑もうが、街の路地にいようが、死ぬときは死ぬ。

だったら好きなことして思いっきり楽しく笑っていたい。

じゃあ私のやりたいことは?好きなことは?何やる?どうやる?どうする?いつやる?

鍼灸、東洋医学は好きだ。心と体のつながり、人体は小宇宙。人と直接かかわり、いろんな人生を見せてもらえる、素晴らしい世界、素晴らしい仕事。だけどそこに人生の全てを賭けるほどのめり込めていない自分も感じている。

山が大好きだ。自然、宇宙との一体感。それを教えてくれたのは紛れもなく山。だけど全エネルギーを向ける勇気はない。経済的なことの不安が先に出てきてしまうから。

私は今、何となく、このままじゃいけない、って思っている。自分のエネルギーの矛先をどこに向けたら良いか、分からないと思っている。たぶん決めるのが怖くて見ないようにしている。目的が無いから、脳が思いっきり暇なんだ。

書いていて気付いたけど、私って、ゼロか百か、すごい偏りと拘りがあるのね…。鍼灸も山も、好きなバランスでやればいいじゃない。少なくとも今は。

先を行くすごい人に圧倒され自分はなんてダメなんだろうと思ってみたり。本を読んだりトレーニングしたり好きに時間を使いたいと思いながらなんか違うなと思ってみたり。何かしなくちゃ、と無意味に焦ってみたり。白か黒かに拘って、グレーを許せない自分がいたり。”やるべき”ことはたくさんあっても”やりたい”のか分からなかったり。自問自答しすぎて結局モヤモヤしたまま一日が終わったり。

そんな私のいろいろ思う気持ちも、世間にとっちゃナンの意味もない、ってやつですな。

何を思っても、何をしても、それが自然の営み。大河の一滴。

「こんなこと思っていたよな~懐かしい」って思ってる未来の私。なんのために今こんな気持ちになっているんだろう。この宿題、まだまだ解けそうにないけど。私はどう乗り越えて行くんだろう。この宝物の時間を。

↑にワクワクするときもある。でも、何か疲れたな、って思っている今日現在の私は、きっと体調不良なのでしょう😇。もういいから休む自分を許そうね。

以上、まとめる気も何にもないブログでした。おしまい。