上州武尊スカイビュートレイル2026 レポート|準備と限界

プロローグ

「山ガールにオススメのレースだよ」

そうチームメイトに教えてもらったこのレース。

舞台は群馬の名峰、武尊山。日本百名山の一つだ。

しかし、過去のレース写真を見ると、雨でドロドロ。見るからにハードなレースだった。

私も過去に登山をしたことがあるが、岩壁や木の根、泥が入り混じる、とても歩きにくい急な道が続く山だった。

エントリー開始の頃、私はニュージーランドのレースで激しいドロドロを経験した直後。まだ痛む爪が、そのつらさの記憶を鮮明に呼び起こした。

それで、もう終わりなのかい。私よ。

迷った末に挑戦を決め、エントリーボタンを押した。

種目は2つ。138km・D+8,017mのHOTAKAに惹かれるも、今の力ではまだ及ばない。まずは77.5km・D+3,970mのTONEにエントリーし、HOTAKAは来年以降の目標にすることにした。

レース対策

9月上旬のこのレース。7月、8月は私の大好きな夏、山旅の季節。

登山とレースに向けた練習は両立せず、積み上がるのは、ど真ん中を外した経験ばかり。

暑さの中、十分なロード練習はできていない。
コース試走も、していない。

足りないことは分かっていた。焦りは募る。

でも、何もしてこなかったわけではない。

山には登ってきた。

そして、数字だけを見れば、距離も累積標高差も、経験したことのない数字ではない。

「山に登るように、挑もう」。

そう、レースの攻略ではなく、私らしく、山そのものと向き合うように。このレースを味わおう。

(でも来年以降は、9月のレースエントリーはちょっと考えよう……)

身体の方はというと、ニュージーランドのドロドロで「つらかった」という記憶は残っていても、身体感覚としてはもう思い出せない。負傷した爪も、半年でしっかり再生した。

レース前から一週間以上、雨マークが並んでいた。当日こそ曇りマークなものの、足元のドロドロは必至。

ソックスやテーピング、ワセリンなど、濡れる足への対策を十分に。タイム予想から補給計画を立て、装備を整え、挑んだ。

結果。

完走したものの、とても厳しいコースに、最後はトラウマ級のつらさ。

今後出たいレースリストから「HOTAKA」の文字をさっそく消したのではあったが、

試練と経験を受け取った、とても思い出深いレースとなりました。

山に登るように挑んで、見えた景色とは。

その限界の先に、見えるものとは。

レースレポート、いきます。

9/11 前日

電車で高崎駅へ。

高崎に住む友人とお茶をした後、専用バスでスタート&フィニッシュ地点の川場村役場へと移動。

必携品のチェックを受ける。本格的な山が舞台の長距離レースだけあって、必携品は多め。

ゼッケンや参加賞を受け取った後は、また専用バスに乗り込み、前泊地へ。

ペンションで美味しい食事をいただき、温泉で身体を癒し、荷造りをして、早めにベッドに入った。

9/12 当日

ぐっすり寝て、3:50起床、4:50出発。バスに揺られながら、宿で用意してくれたお弁当を食べる。

5:50、スタート会場へ到着。荷物を預け、用意されていたヒルよけスプレーをシューズやソックスにたっぷり吹き付ける。

この日の天気は曇り。空は明るい。例年雨のこのレース、雨が降っていないのはとても珍しいそうだ。

過去国内レース13本では一度も雨なし、晴れ女の私。こちらの勝負やいかに。

祈りを込めて、日焼け止めをしっかり塗る。

そしてチームメイト2人と合流し、写真を撮ったり、おしゃべりしたり。高揚と緊張を胸に、その時を待った。

スタート|山に登るように

7:00、スタート。沿道からの声援を受けながら、走り出した。必携品を詰め込んだザックが、肩にずしりと重い。

山岳レースが、始まった。

ロードをしばらく走ると、すぐにトレイルへ。すぐに登りが始まり、ポールを取り出す。

前日までの雨を存分に吸ったトレイルは、たっぷりと水を含んでいた。時折、霧のような雨もちらつく。今にもヒルに吸い付かれるのではないかと、足元から目を離すことができなかった。

同じようなペースのランナーたちの流れに乗り、ゆっくりと、でも確実に歩を進めていく。

トレイルと林道、ロードを登り続け、

13.5km地点、A1川場エイド。9:15。

塩トマト、塩バナナ、ようかんに水をもらい、少し後に到着したチームメイトに声を掛け、出発した。

武尊山へ|青空とスカイビュー 

剣ヶ峰、武尊山に向け、急なトレイルが始まる。渋滞していて、ペースはゆっくり。

夏のアルプス登山の経験が活きているのだろう。それほどつらいと感じることなく、順調に高度を上げていった。

そして、このレースの厳しさの片鱗が見え隠れしだす。ぬかるんだドロドロの地面も、少しずつ始まっていった。

急登を登った先、森林限界を超える頃には雲のすき間から青空がのぞき、日差しも出てきた。大展望とまではいかないものの、けむる山の輪郭が見える。

なかなか望めないスカイビューが、目の前に。

お天気勝負は、引き分けということでよろしいでしょうか。上州武尊さま。

剣ヶ峰を過ぎ、急な岩場を越え、稜線を進んだ先には、武尊山。山頂で写真を撮り、先へと進んだ。

登った分、ここからは急な下りが続く。

泥の下り|ニュージーランドよりはマシ 

途中、登山道にある鎖場を回避するための、特設迂回路に入る。

ここがまた、とてもワイルドだった。熊笹の藪漕ぎ、きつい急斜面のトラバース道と続き、ロープにつかまり、何とか越えていくような斜面もある。

そして、泥に足を取られ、シューズは次第に重く、冷たくなっていった。

迂回路を抜けても、ぬかるんだ道は続いている。どうしても避けられない場所も多く、足を突っ込むたびに、少しずつシューズの中にまで水がしみてくる。

シューズもソックスも、色が分からなくなるほどだったニュージーランドのドロドロよりはマシだ。

そう思いながら進んでいたが、それでも少しずつ、疲れが溜まっていった。

私の後ろを走る男性ランナーさんと話す。このレースには何度も出ているそうで、ひどい年には、腰まで浸かる深さの水たまりを越えていったこともあったそうだ。

それでも何度も走るほどの魅力が、このレースにはある。

ということなのだろう。

木の根、岩、泥。

私の力ではほとんど走れないようなコースが続き、一向に距離は縮まらず、時間ばかりが過ぎていく。

やがて傾斜が緩み、スキー場に出た。エイドに着く頃には、前のエイドを出発してから5時間近くが経っていた。

29.0km地点、A3ほたか牧場エイド。14:09。

豚汁に、漬物、フルーツやお菓子。温かいものをお腹に入れ、ほっと一息つく。チームメイトと一緒になり、お菓子を頬張りながら笑った。

トイレを済ませ、スポーツドリンクを補給し、出発。

スキー場のアップダウンを抜けると、ロードの下り。走っていると、道端に見慣れた顔があった。別のチームメイトが、応援に駆け付けてくれていた。

彼女は昨年このレースを完走していて、このレースを教えてくれたのも、彼女。今回、私は彼女のタイムを参考に、目標と計画を立てていたのだった。

33.0km地点、W2十二様のウォーターエイドで少し話をした。

ドロドロの足元と私の顔を見比べて、

「大丈夫そうだね!頑張ってね!」

と元気に励ましてくれた。

道は再びトレイルへ。道というよりはただの斜面のような直登や、林道。厳しい道は続いていた。前後のランナーと励まし合いながら、進んでいく。

この頃には、水没した足や爪、酷使してきた筋肉が、疲れでは収まらなくなってきていた。

下りの一歩が、痛い。
ふくらはぎやお尻、大腿裏も、痛い。

早く、カフェインを取りたい。

そう思うようになり、再びスキー場に出てエイドが見えた瞬間、ザックに伸びる私の手。レッドブルを取り出し、歩きながら蓋を開け、一気飲みした。

夜へ|カフェインとともに 

40.0km地点、A5オグナほたかエイド。16:24。

カレーにスープ、フルーツ杏仁、お菓子など、疲れていても食べたいと思えるものばかりで、生きた心地を取り戻す。

ここでもチームメイトと合流し、

「キツイね」
「この先どんなコースかな」

と話しながら、一緒に食事を取った。

サングラスをしまい、頭にはヘッドランプを準備。
トイレを済ませ、洗面台で顔を洗い、出発。

森の中はすでに暗く、霧雨もちらついている。
走り始めて10時間。夜に差し掛かろうとしていた。

林道は緩やかなものの、登りで走ることはできず、ずっと早歩きを続けた。

赤倉峠を越え、下りに差し掛かると、レッドブルのおかげか、身体が少し動くようになっていた。暗闇と霧で見えにくい足元に注意しながら、小走りで身体を前へと進める。歩いている何人かのランナーをかわした。

ここまでは、余裕があった。 

長い長い下りの末、闇を切り裂く明るい光が見えてきた。

55.5km地点、A6赤倉橋エイド。18:59。

お稲荷さん、味噌汁、みかん缶など、ここでも美味しいものが出迎えてくれる。

雨は、霧雨から小雨になっていた。止まっていると、身体が冷えてくる。手早く補給とトイレを済ませ、出発した。

ロードを下ると、1km先にウォーターエイド。ここを境に、再び登りへ。

余裕が消える|霧の中の急登

ロードと林道が繰り返される、曲がりくねった坂道は、どんどんと傾斜を増していった。

さっきまでの余裕が、嘘のようにどこかへ消えてしまった。 

「勾配14°」の看板が現れ、厳しさに愕然とする。

たまらず、カフェイン入りのジェルを口にした。

レースも後半。ランナーはばらけ、周りには誰もいない。はるか前方のランナーの小さな灯りに近づくことはできず、後ろを振り返っても、見えるのは暗闇ばかり。

時々目の前に現れる、コースを示すまるで幽霊のようなリボンと、1km刻みに出てくるフィニッシュまでの距離表示を励みに、身体を何とか前へと運んでいった。

62.5km地点、W5ウォーターエイド。

「ここまでの登り、つらかったでしょう」

そうスタッフさんに優しく声を掛けられる。

「はい、とても」

たった6km。しかも林道とロードの歩きやすい登りを来たとは思えないほどに疲れ果てた私の口から出るのは、ただ本音だけだった。

クエン酸ドリンクをもらい、先に進むと、再びトレイルへ。

滑りやすい道が、細かいアップダウンを繰り返しながら、ずっと続いている。

霧がひどく、光を反射した水の粒が視界をさえぎり、先が全く見えない。足元のズルズルの斜面を、目を凝らして一生懸命見る。一歩先の足場を確認するだけで精一杯で、とても走れる状態ではなかった。

そして、身体も限界だった。もはやカフェインも、アミノ酸もエナジージェルも、何を取っても回復を感じることはなく、どんどんと消耗していった。

「急な下り⚠」

の看板のある斜面で、特大の尻もちをつく。

それまで一度も滑らずに来ていたのに。

もう終わりにしたい|トラウマ級のつらさ 

「もうロングレースはこりごり!」

「私はなぜ走っているのだろう」

ニュージーランドの102km、ドロドロの夜道で思ったことと、全く同じだった。

もう身体では覚えていないと思っていた記憶が、心によみがえる。

二度目の今回は、もう忘れたくても忘れられないに違いない。

「早く終わりたい」

エントリーしたのは私なのに。

望んで、ここにいるはずなのに。

ただ、一刻も早くこの時間が終わってほしい。

それ以外、何も考えられなかった。

フィニッシュ|終わっていたのは足ではなく、気持ち

72.5km地点、W6ウォーターエイド。

「タフすぎる…」

「お疲れさま」とスタッフから労いの言葉をかけてもらい、絞り出した返事は、この一言だった。

ここからフィニッシュまで、あとトレイル3km、ロード2km。

最後はまた、とびきり急なズルズルの下りやぬかるみに足を取られながら、ようやくロードになった!

と思ったのも束の間、再びのトレイル。

そしてまたロードになると、現れた残り1kmの距離表示。

私はフィニッシュできる。

あんなに走れず、もう終わったと思っていた足が、ロードになった途端、突然動き出した。

先の見えない苦しさの中で、終わりかけていたのは足ではなく、気持ちの方だったのだろう。

歩くランナーを3人かわし、ゴールに駆け込んだ。

24:13、フィニッシュ。

17時間13分15秒の、長い山旅が終わった。

「キツかったね」

「本当によく頑張った」

「crazy」

フィニッシュしたランナーたちの言葉はどれも、このレースの厳しさを物語っていた。

少し後から走ってきていたチームメイトのフィニッシュを待ち、健闘を称え合った。

写真を撮り合い、少し休憩した後、預けた荷物を受け取った。

「夜中に水浴びとか、罰ゲームみたいだね」

大笑いしながらホースの水でシューズや身体の泥を落とし、夜通し営業してくれている温泉へ、送迎バスで向かう。

泥と汗にまみれたウェアを脱ぎ、疲れを洗い流し、温まり、身体に御礼申し上げた。

会場へ戻り、ちょうどフィニッシュしたもう一人のチームメイトと合流。休憩スペースで仮眠した後、チームメイトの車に乗せてもらい、自宅へと帰った。

エピローグ

一晩寝て身体が回復すると、「もう足を洗おうか」と思ったほどのあのつらさが、もう薄れている。

同じレースを走っていても、チームメイトの感想はそれぞれだった。

一人は私と同じく「キツかった、最後はもう走れなかった」。

そしてもう一人は、「カフェイン入りのジェルが効いて、余裕だった」と。

同じ山を走っても、見えるものは、ずいぶん違う。

距離や累積標高差が近い、昨年完走したハセツネと比べてみる。

ハセツネは、試走に行き、コースを把握していた。ここは走る、ポールを出す、しまうなどのイメージがあり、臨んだ。そしてど真ん中の練習も積んでいた。

だから、余裕のあるフィニッシュだった。

今回は、未知のコース。

どこでポールをしまっていいものか、走ろうか温存しようか、判断がつかなかった。そしてど真ん中の練習も積んでいなかった。

結果、最後はトラウマ級のつらさ。

「山に登るように、挑もう」。

そうして走り切った山岳レース、上州武尊スカイビュートレイル、TONE77.5km、D+3,970m。

山に登るように走りたい。
景色を見たい。
山そのものと向き合いたい。

きっと、間違ってはいなかったと思う。

でも、今はまだ、この長い山旅を最後まで味わえるだけの力が、足りなかった。

私は今、どこまでならその気持ちだけで楽しめるのか。
どこから先は、もっと経験や工夫が必要なのか。

その境界が、今回少し見えた。

そして、その境界の向こう側に、まだできることがある。

コースを知る。
どこで走るか判断する。
ポールを出すタイミングを知る。
補給を考える。
身体をつくる。
長い時間を動き続ける経験を積む。

もちろん、どんなに準備をしても、厳しい山は厳しい。

実際に挑戦してみなければ、分からない部分もある。

でもきっと、そんな一つ一つが、最後に「山を見る力」になる。

もっと長く、厳しい山でも、楽しめる私になりたい。

一晩でもうそんなことを考えているとは、あのレースの夜の私にはきっと想像がつかない。

というか、目を覚ませとぶん殴られるかもしれない。 

楽に完走できるようになったわけではない。
楽しめない時間もあった。

それでも、最後までたどり着いた。
以前なら届かなかった場所まで、来られるようになっている。

まだ限界じゃないよね?

泥だらけのシューズは洗った。

でも足を洗うのは、もう少し先になりそうです。

私の挑戦は、続く。