40にして惑わず?
私は今39歳、あと数ヶ月で40歳になります。20歳の頃にどんな未来を思い描いていたかは覚えていないけれど、たぶんきっと思いもしない20年を歩んできた。当然のように結婚、出産などするのかな、と思っていたし、40歳はもう相当なオバサン(失礼)で、もう人生後半戦、やりたいことを叶えていくというより、生活の延長がそのまま人生になっていくような、夢も希望ももう一通り叶え終えて、とかそんなことじゃなかったかと思う。
誰をモデルにそんなイメージ?昭和のいわゆる「母」の姿でしょうか。思い込みってこわい。
現在の私は結婚も出産も子育てもしていないし、社会的な地位も名誉も何もないけれど、「あなたはそういうの(一般的な幸せっぽいこと)あるなしは関係なさそう。とても楽しそうだよね。」と友人に言われてニヤリとしてしまうような、そんな「私の幸せ」を生きる日々です。やりたいことも夢も希望もまだまだ終わっていません。
生きる意味
20代で社会に出てから「生きる意味」を考えるようになり、ずいぶん思い悩んだ。可能性と実力と本心の間の大きな溝、社会というシステム、幸せとは、私とは。それまで考えたこともなく、与えられるままに生きて来たため、何の答えも持ち合わせておらず、「答えは自分で決める」ということも分からないから、ずっと外に「正解」を探しては見つからなくてまた右往左往し涙する、そんな日々。心が擦り切れて、早く死にたいと思うくらいには鬱々としていました。病気や事故など、いつ来てもらって構わない、その方が楽になれる、と思っていました。
しかし健康な私に簡単に病や死が訪れるわけでもなく、どうせいつか死ぬまで生きていかなければならないのならば、自分にとって楽しいことや価値を感じることをしていくしかない。ならば、と、思い悩んだ「心」「見えない世界」を扱う東洋思想の鍼灸を学び、「生」「奇跡」を感じる登山に傾倒するようになった30代。
40代を前にして、もう肉体的な成長は無いし(あるとすれば縦ではなく横)、代謝が落ちたのか太っても痩せにくくなってきた。おそらく生殖の機会も無いだろう。顔肌にはしみしわたるみ。記憶力も徐々に怪しさを増す。介護保険料の支払いが始まり、市の健康診断・ガン検診の通知が届いた。これから先は衰えという「ゆっくり死に向かっている」状態だということを認めざるを得ない。私はこれまで可能性を出し尽くして生きて来たのだろうか、と自分に問うと、集大成的なことはまだ何も挑戦も達成もしていないのではないか。やらないと後悔するのではないか。と。
「本当にやりたいこととは」
あなたのやりたいことは?とコーチングセッションの中でも問われることがあるし問うことがあるけれど、これにもレベル感があって、
◆日々の日常的にやりたいこと、すぐ叶うこと:例えば美容院に行きたいとか、マッサージ受けたいとか。
◆物質的な形としての目標:例えば今年年商〇億稼ぎたいとか、家を建てたいとか。
◆目に見えない体験として得たいもの:例えば世界平和に貢献したいとか、家族と愛を育んでいきたいとか。
この「本当にやりたいこととは」という質問は、一度きりの人生、本当に挑戦したい達成したいことは何?どんな体験がしたい?死ぬときに振り返ってどんな人生だったと思いたい?という、目に見えない体験や経験、それが自分の人生において一番大切なことになりうること、「心から」の希望や願いだと思っている。
つまりは、「あなたはどう生きていきたいか」ということと同じ質問だ。
都会やネット上には、刺激的で簡単に欲を満たしてくれるものが溢れていて、愛や夢も手に入るのではないかと思う程。どうでも良いや、何でも良いや、今じゃなくても良いや、と思ってしまえば、考えるのを放棄してしまったら、そのまま何となく人生の最終日まで川流れ的に行ってしまいそうだ。
そうじゃなく生きたいとしたら。自分の意志で自分の足で人生の山を登っていくとしたら。
今の私の場合は、社会に大きな影響を与えたいとか、良い貢献をしたいというよりは、とても個人的な挑戦が思い浮かんでいる。
肉体精神を最大限に活用したい
2024年の目標としても掲げたけれど、今の私の中期的な目標がこれ。肉体は前述の通り衰えていくし、精神だって本気で活用していこうとしなければ、「40歳で人生の83%が終わっている(新しい経験が減り、前半と後半はイーブンではない)」そうだ。⇒40歳で人生の83%が「終わっている」という衝撃
40歳になる前に、39歳のうちにやっておきたいこと。ただの数字上のことで、39歳365日目と40歳1日目の違いはほとんどないはずなのだけど、ぬるっとゆるっと迎えることは出来そうもなく、いろいろと挑戦をと目論んでいる。年齢に抗っているつもりはないのだけど、抗っているのかもしれない。
この歳になってから、山を歩くを超えて走りたくなった。まだ私は全然やっていない気がしてきたからだ。もっと限界を伸ばしてみたくなった。自分がどこまで出来るのか挑戦してみたくなった。その先に自分が何を感じるのか見に行ってみたくなった。走るのは正直楽しくはないが、でも体がどこも痛くも悪くもないうちにやらないときっと後悔する。5月にはフルマラソンを完走した。今月はトレイルランニングに挑戦する。秋にかけては縦走山旅をいくつも詰め込んだ。
肉体的な挑戦が並ぶ。10代20代の成長余地のある時代ではなくなぜこんな30代も終わりの終わりのところになって、と思うが、終わりや衰えが見えたからこそなのかもしれないとも思う。
精神的なところでいうと、ぜひこの一生で「悟り」には触れたい。到達は叶わなくとも。これは終わりや衰えなど関係ない世界だろうか。死ぬまでの良い課題だ。ブッダの哲学に触れている今日この頃。
今年の挑戦で満足する気はしないし、もっと先のもっと別のことがあると思っているが、私の「本当にやりたいこと」「集大成」はまだ言語化もはっきり出来ていないし、脳内の快ホルモンのせいで、何かに到達したらしたで「もっともっと」とさらなる挑戦に駆り立てられそうだけれど、それでもいいじゃないか。人間だもの。
「本当にやりたいこと」をしながら「生きる」、それを感じる、思う、考える。
いつか来る死を恐れて生きるのではなく。どうせ死ぬんだと投げやりになるのでもなく。
つまりは、いつか死ぬとしても、その日まで全力で生きていきたい。喜びも苦しみも、情熱も静寂も、全てを味わいながら。ということなのでしょうかね。
服部文祥さん。登山家であり、作家であり、現代に生きる縄文人のような浮浪者のような(失礼)、しかし至極まっとうに生きている、私の大好きな方。何でも便利で簡単な文明社会に生きる都会のへなちょこ現代人(私)ではなくて、この方のような野性的な生き方こそ人間という動物らしいのでは?と感じます。サバイバルの核心にある、生きることや、自分の能力を最大限に発揮する面白さ、巡る思考がしっかり言語化されていて、「私が今表現しきれていない気持ちが全部ここに言葉にされている」と思うような一冊。オススメです。
エッセンシャルコーチングクラス
私が自分自身に、やりたいことに、素直に正直に生きられるようになったのは、この「本質」を扱うコーチングクラスでの学び、経験が大いに影響しています。
今年2024年10月スタートのクラス3期生の募集が始まりました。
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