夢は叶える
思い浮かんだ大小さまざま、エネルギーレベルさまざまの、やりたいことにはわりとすぐに着手していく私。(数年がかりと決めて温めている夢もありますが。)
すぐにやらないと気が済まないというか。明日には気が変わっているかもしれないし、明日生きている保証はないし、明日も元気とは限らないのだから。
現在学びを得ているエッセンシャルコーチングクラスでも、誰か応援したい人に声を掛けてコーチングをまずはやってみよう♪(まだ何も教わっていないけど!)という課題に、よしやるぞ!やってみるぞ!とエネルギー高めで取り組み始めました。
そして数名の方にご協力いただき、「クライアントの可能性を最大化する」という意図目的で関わりをもち、楽しいセッションが出来て良かったな、と思う反面、次はこうしよう、と思う未来への材料もたくさん。
そんな中、Day3が終わって告げられた課題、30分セッションの記録をまるっと提出する(任意ではあるが、認定をもらうには必須)。その目的は、コーチのスキル向上、成長のため。素直にまずはクラスの仲間とトライしてみるも、「第三者に見られる、評価される」と別の解釈が入り込み緊張して、クライアントの可能性どころではなかった。ガーン。
「やりたい」から「やらねば(本当はやりたくない)」への転身完了。
優等生だった私
ずっと高レベルの優等生でした(言い切って良いのか?)。小学校から大学、専門学校まで、ほぼ主席(自慢ではありません)。皆勤賞だったり、テストでは高得点を取ったり。「ちゃんとした私」でいるために、意地でも休まなかったし、勉強も詰め込んだ。「やりたい」からやっていたのではなく、「やらねば」で動いていた。
学校以外でも、日常生活でも、仕事の場面においても、どんな時も。
そんな生き方が染みついてもはや当たり前だったのだけど。
それでも「我慢している」感覚はずっとどこかにあり。他の人から「やりたいことやってて良いね」と言われるたびに「違う。全然そうじゃないのに。」と思っていました。
本当の私
自分を知る過程の中で分かった、私というもの。
情熱溢れる感覚派。「やりたい!やるぞ!」が高エネルギーで発動するのだから、逆に「やりたくない!やだ!」も同じくらいのエネルギーで溢れ出るのだろう。エベレスト並みの「やりたい」と、チャレンジャー海淵並みの「やりたくない」。両方そこにあるのに、エベレストは認めてチャレンジャー海淵は見ないふり。そんなのあり?
「ちゃんとしたい」「良く見せたい」「いい子でいたい」がために、本当の気持ちを抑圧して頑張って、消耗して、を繰り返していたんだ。と。気付いた。
ちゃんとした私ってなんだ?自分に「やりたくない」を叶えてあげることよりもそんなに大切なのか?
無理して頑張って「認定をもらう」ために動くことよりも、今自分の気持ちに正直でいることのほうが、コーチとして、私として、何倍も大切なのではないか?
昔の私なら選択の余地なく「やらねば」を発動させて消耗しながらやっていたのだろう。だけど今の私は違う選択が出来る。少し気持ちが落ち着くまでやらないでおこう。「やりたい」が出てきたらやろう。本来の目的は「認定をもらう」ではなく「成長する」なのだから、いつかは気持ちが向くだろうと自分を信頼しよう。今こそ他者基準を捨て去り自分次第に生まれ変わる時だ。
ちゃんとした私からの卒業。ありのままの私への入学。
抑え付けてきた大小さまざまの「やりたくない」、これからは仲良くしよう。今までごめんね。
落第したっていいじゃないか、にんげんだもの。
ここに堂々の落第宣言をした私ですが、良きコーチは変わらず目指しております!体験セッションクライアント募集中。あなたのお話しお聞かせ下さい。
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