おかえりわたし
帰ってきました最高の2泊3日の北アルプス縦走の山旅から。
翌日はだいたい自分が使い物にならない。筋肉痛や疲労からではなく、思い出してはニヤニヤして、ニヤニヤしては思い出して、の無限ループの真っ最中だから。なんて幸せな脳の使い方((* ´艸`)笑 むしろいつもより元気すぎておかしい程。
翌々日はだいたい疲れが出てきて眠さMAXになる。←いまここ
問いかけへの答え
一歩一歩進んだ先で出会った絶景の数々。高みを目指す道中で描いた心の軌跡。忘れるつもりはないけど、より鮮明に覚えているためには、言語化!ちゃんと言葉にすることで、あることになるから。
今回、「なんのために」私はこんなに山が好きなのか、私の本質は、私だけの役割・使命は何だろう…と問い続けながら山登りをしていました。
時空を超えた感覚…?
おとずれる感動のその瞬間は、一言で言うと、「奇跡」。その景色を織りなす山の形も、緑も川も、空も雲も、動物たちも、そして私も。宇宙があり、地球があり、その瞬間が今存在してるという、とてつもない、最大にして最高の奇跡。完璧な調和の世界。そこには自我も無ければ、過去も未来も無い。あるのはただその今と、湧き上がる、広がる、穏やかで優しい、力強いエネルギー。
太陽が水平線から、全てをオレンジ色にだんだんと染めながら空へ上っていく感じ。そうやってフワッと空気と色が変わるような感覚で自分の意識のレベルが切り替わる。
いつもは自分は無価値だとか自信が無いとか、劣等感だとか、不安だとか嫉妬だとか、そういう自分がいるのだけど。そんな気持ちなんて初めから存在してないレベルの高さに行ってしまう感じ。
そうだ、私はこの気持ちはどこかでも感じることがあったけれど、。山に行くと超高確率でこの気持ちになれるからだ。この気持ち良さとエネルギーが欲しくて、永遠にこの自分でいたくて、私はずっと山を求めていたんだ。
思えば、「早く死にたい」「悟りたい」が口ぐせだった悩み多き20代から今まで。(もちろん私に自殺する勇気はないので)死ぬことが叶わないなら、せめて悟ってこの世の煩悩から解放されて生きたい。そう思っていました。
昨年7月に参加した「死のワーク」(大切なものを紙に書いて、死に向かっていく過程でそれを一枚一枚捨てていくもの)で、私の手元に残った最後の一枚は「悟り」でした。でもそれ、「悟り」に ”執着した心” という悟りからはとても程遠い状態なんだけどね。煩悩から解放されたい、って、問題回避だし…。どこに行きたいんだ私は。
そんな私が見付けていたもの、それが、この奇跡。
そりゃ、山行きたいよね。うんうん。分かります。
命は奇跡のかたまり
山を求める理由ははっきり分かった。私にとって、山じゃなきゃいけない理由も。
と同時に。
これって、この奇跡って、山にあるんじゃない。私の心の中にあるんだ!!!
私がずっと欲しくて欲しくてたまらなかったもの、それは、外の世界にではなく、私の中にあったんだ。欲しい物は全部、私の中に…。
そう気付いて、涙が止まらなかった。泣きながら歩き続けた。
過去の私に言ってあげよう。自分が嫌だとかダメだとか否定している、その自分が全て持ってるんだよって。
そしてその奇跡が、私の中にあるっていうことは、他の全ての人の中にもあるということ。人間は皆、価値があるって、このことだったんだ…。
おみやげは絶対的自我
私だから大丈夫。どんな夢も、一歩一歩進めば叶う。全ては完璧。好きなことをして、高みを目指そう。
心の底からそんな気持ちになって帰ってくる。
山旅は私の大切な癒しと学びの体験。私は山を、生き方を通して命の奇跡を証明する。
山、行きたくなりましたよね?
いつも何度でも
“はじまりの朝の静かな窓 ゼロになるからだ充たされてゆけ
海の彼方にはもう探さない 輝くものはいつもここに 私の中に見つけられたから”
今日もグッジョブ。おやすみなさい。